薩摩・大隅の隼人と南方説話
(4)日本神話の南方への伝播

   日本神話の南方伝来説の弱点をさらに証明してみせよう。インドネシアのジャワ島にスラバヤとうい大都市がある。年配の方は、森繁久彌主演の「スラバヤ殿下」という映画(1955年)を見て、この地名をよくご存知であろう。このスラバヤの語源はインドネシア語で「鮫を意味するスラと鰐を意味するバヤ」である。市章(図11)やモニュメントにも鮫と鰐があしらわれている。日本には鰐がいないので、もし鰐を物語につかうのであれば、「バヤ」とインドネシア語で表現されて当然ではないか。あるいは鮫を想定したのであれば「スラ」と表現されたであろう。しかし、海幸彦・山幸彦の物語で、インドネシア語の「バヤ」も「スラ」も出てこない。

インドネシアのスラバヤ市の市章
図11. インドネシアのスラバヤ市の市章

   以上述べたように、日向三代の物語は倭人(日本人)が十分に創造しえた話であり、なにも南方の説話に源流を求めることはない。日本神話の源流の説話が伝わるというインドネシアなど南洋島嶼には、第一次世界大戦後、大日本帝国が委任統治した島々が含まれる。遡れば、日本の戦国時代、南蛮貿易が盛んになり、日本人は東南アジアに盛んに進出していた。例えば、十六〜十七世紀に、呂宋助左衛門(るそん すけざえもん、納屋助左衛門)がフィリピンやカンボジアで貿易を営み、山田長政はタイに日本人町を営んでいる。南方に進出した日本人が、お伽話として海幸彦・山幸彦の話、因幡の白兎の話を現地で広めたとすることは決して不合理ではない。たとえば、因幡の白兎の話に似た説話が、マレーの民話にあり、二十世紀初頭にイギリス人研究者により採取されている(西岡秀雄『兎と鰐説話の傳播 (下)』史学第二十九巻三号)。タイやカンボジアからマレーシアまで、因幡の白兎の話が伝播し、現地の動物に合わせた説話に変わるのに三、四百年は十分過ぎるくらい長い。また、日本生まれで平戸に七歳まで暮らした鄭成功(1624〜1662年)は明の南京から台湾で活躍している。彼が日本の話を、現地に伝えたとしても不合理ではない。台湾の原住民もオーストロネシア語族にはいり、フィリピンやインドネシアとも言語学的につながる(Web)。

   また、「釣鉤喪失」譚や「バナナと石」の説話があるというセレベス(スラウェシ)島にも日本人は暮らしていた。岩生成一『続 南洋日本町の研究』(岩波書店 1987年 Web)に「1637年6月の時点でマカッサルの日本人は5名で、同時期にバタビア248名、アンボイナ63名、テルナテの20〜40名などと較べると少ない。オランダ人の南洋経略の初頭に当たって、日本人はオランダ東インド会社(VOC)の招請に応じてテルナテ、ディドレ、マキヤン、アンボイナ、バンダ等のマルク諸島各地において、あるいは東インド会社の使用人として、あるいは兵卒として、はたまた労働者として、商事、軍務、雑役など諸般の任務に服して活動し、他に自由市民として残留して商業方面に活動する者もあったが、なおその近隣セレベスやボルネオの諸島、あるいは東南のソロール島や西方のスマトラ島などオランダ人の開拓各地に進出する者もあった」とある。十七世紀にスラウェシ島に日本人は暮らしていたのだ。その他、近隣のインドネシアの島々にも多数の日本人が進出して暮らしていた。その日本人が、「木花開耶姫と石長姫」の説話を現地に伝え、その説話が「バナナと石」の説話に変わったと考えることは不合理ではない。あるいは、インドネシアを植民地化していたオランダ人の宣教師が聖書の類似の説話を現地に伝えたとも考えられる。それが十九世紀末から二十世紀なって採取されたのだ。なお、「バナナ型神話」を唱えたスコットランド人の J. G.フレイザーは、現地をおとずれたことはなく、他人の採取した説話をもとにして自説『金枝篇』を著したのであった。それ故、「安楽椅子の人類学」と揶揄されることもある。

   そこまで遡らなくても、大日本帝国の台湾統治時代、第一次大戦後の南方島嶼委任統治時代、支那事変当時、太平洋戦争中など、日本の物語が伝えられる機会は多々あった。その話が、現地でいろいろとアレンジされ、それらが研究者に見いだされたたと考えてもよいのではないだろうか。そもそも、南方説話が日本の神話の源流であるという意見は、日本神話を史実の裏付けのない単なるおとぎ話にすぎないという誤解に立脚しているのではないかと、私は思う。類似の神話や説話が世界中にあるのであれば、当然、日本人も類似の説話・神話を創作することは可能である。

   日本人は自然の中で暮らし、自然を愛し、そして自然をよく観察し、自然と調和して生きてきた民族である。日本人は、鳥の鳴き声や虫の音を「ことば」としてとらえることことが出来る。例えば、ウグイスの「ホー・ホケキョ」や「グイス」、コノハズクの「仏・法・僧」、三光鳥の「月日星ホイホイ」、ツクツクボウシやミンミンゼミ、キリギリスなど。これができるのは世界中で日本人だけである。私も多くの外国人との親交があるが、誰もできない。教え子のインドネシア留学生には、虫の音なぞ雑音といわれた。東南アジアで唯一、鳴き声にちなんで名付けられているのは、ゲコあるいはゲコッと鳴くヤモリの「ゲコ」くらいである。このように、日本人は古来、自然の観察から高度な物語を創造できる優れた能力・素養をもっていたと、私は確信する。