出雲平定と大國主命

   それでは、『記紀』および『風土記』に従って、大國主命を論考してみよう。歴史上の事の正否はともかく、出雲国は高天原を追放された素戔嗚が至った国であり、その子(あるいは六世または七世の孫)の大穴牟遅(=大國主)が治める国であった。その出雲に住む大國主から葦原中国(本州島と四国島)の統率権を奪うことを図る天照大神と高御産巣日神は、台与と張政を神格化したとして考えたい。大國主は、出雲国を支配するだけでなく、各地に出かけ妻問いをしている。つまり、その地の豪族の姫と結婚する事は、その地を支配下に置いたことを意味すると判断される。因幡国の八上姫、高志国の沼河姫との結婚がこれにあたり、因幡国や北陸地方を支配したのであろう。また、胸形の沖ノ島の田霧姫にも妻問いをして下照姫をなしている。その他、伯耆国、播磨国、伊予国、科野国さらに大和国や紀伊国も支配していたようにみえる。まさに、大國主は葦原中国を統治していたのだ。

   その大國主が居を構える出雲国に、天照大神と高御産巣日神は、まず、天照大神の次男の天菩比(あまのほひ、天穂日)を丸腰で派遣するが、大國主におもねるだけで、国譲り交渉は失敗する。次に天若日子を天之麻迦古弓と天之波波矢で武装させて派遣するが、大國主の娘の下照姫と結婚してしまい、結果として国譲り交渉に失敗する。最後に建御雷(たけみかづち)と天鳥船を派遣する。建御雷(武甕槌)は、伊邪那美が生んだ火神の軻遇突智(かぐつち)を切った伊弉諾(いざなぎ)の十握剣(とつかのつるぎ)からしたたり落ちた血から生まれた神々の後裔にあたる。後で述べる経津主も同じく軻遇突智の血から生まれた神の後裔である。建御雷と経津主は剣豪の将軍であったのだ。また、天鳥船は「鳥のように天駈ける船」と解釈できるが、饒速日が同様に天駈ける「天磐船」に多数の武人を載せて河内国の河上の哮峯に天降っている(『先代旧事本紀』)。考え合わせると、天鳥船とは多数の武人を載せた高速船と理解できる。天鳥船は遠賀潟沿いの造船所で作られたのであろう。今度は、戦争も厭わぬ国譲り交渉であったのだ。建御雷が伊耶佐小浜に十掬剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、その切っ先の上に胡坐したとあるのは、そのあらわれである。交渉の結果、大國主とその御子の事代主は国譲りを承諾する。しかしながらもう一人の御子の建御名方は抗うが、建御雷に力負けして、科野国の諏訪湖に逃げ延び、そこで国譲りに同意を示す。建御雷と建御名方二人の力比べと記述されているが、軍をあげての戦争であったのであろう。この詳細は後述する。戦争に負け、二人の御子の意見を受け、大國主は葦原中国の統率権を天照大神に譲ることになる。その時、大國主は「我が子の百八十人の神々は、事代主が先駆けとなり殿となって、必ずお仕えしますから、一人として仰せに背く神はありません」と言い、この世を去った。大國主は、多芸志の浜辺に建てられた高層建築の社に祀られた。

   以上『記』に従って、「大國主の葦原中国の国譲り」譚を見てみた。他方、『紀』では、最期の交渉は、経津主(ふつぬし)と武甕槌の二人が行ったことになっている。饒速日を祖とする物部氏の伝承を著した『先代旧事本紀』でも、最後の国譲り交渉は経津主と武甕槌が行ったことになっている。また、『出雲国風土記』(Web)では布都怒志(経津主)のみで国譲り交渉を行っている。いずれも、出雲を平定するため、帰順する者には褒美をあたえ、刃向う者は虐殺している。出雲平定には、出雲の国民に多大な犠牲者が出たことがわかる。御子の事代主と建御名方の同意を得て、大國主は天照大神と高御産巣日神に対して国譲り承諾する。その後、高層の社に祀られる事を条件に、瑞之八坂瓊(みづのやさかに)を身に付けて長く隠れた。八坂瓊(大きな赤瑪瑙の玉)が大國主の霊代なのである。また、この時、大國主は、国を平定してきた時に杖いてきた矛を示して「天孫、若しこの矛を用いて國を治めれば、必ず平安くましましなむ。今我、幽界に隠去れなむ」と言い残す。大國主の異名は八千矛神といわれるように、多くの矛を持って葦原中国の国神を統括していたのだ(図10)。

広矛
図10. 広矛
多数の銅矛が大國主大神の霊代となってもよい。また、大國主大神の子の百八十柱の神々とは本州・四国の国々の先住民の魁帥(ひとごのかみ、首長)を表わしていといえる。

   ところで、大國主大神を祀る出雲大神の宮(現在の出雲大社)の御神体は、伊勢神宮の天照大神同様に全く非公開なのである。遷宮の際に御神体は遷幸されるが、神職16人に担がれるほどずっしりと重い木箱に納められていることがわかっているだけである(Web)。多数の銅矛や瑞之八坂瓊が大國主の御神体に十分になり得ると私は思う。そして、葦原中国の統率者大國主命も「死して神になった」のである。大國主大神(出雲大社)、大穴持命・大己貴命=大穴牟遅神、八千矛神、倭大國魂大神(大和神社)、大物主神(三輪神社)として。
   しかしながら、どうも、瑞之八坂瓊は「台与の邪馬台国」にもたらされ、後世に、宇摩志麻治から神武(=崇神)天皇に献上されたようであり、「倭大国魂神」として崇神天皇とその皇女渟名城入姫に祟るのである。そして、大和坐大国魂神社(大和神社)の御神体として、倭直長尾市が祭主となって祭ることなる。ただし、「倭大国魂神」が瑞之八坂瓊そのものか、形代(レプリカ)であるのかはどこにも記録はない。もし、本物であれば、大國主の霊代の瑞之八坂瓊は出雲大社に存在しないことになる。そうすると、八千矛つまり数多くの銅矛が、御神体として出雲大社に祭られているのであろうか。ずっしりと重い木箱の中身は八千矛であるのか? 倭大国魂神の祟りの詳細は崇神天皇章で記す。