付(1) 妣國と新羅

   前述した様に、稲飯(稲氷)は、鋤持神(サメ)となって生き延びたことから(『紀』)、続説が生まれた。『新撰姓氏録』(815年)(Web)に「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組(祖)合」とあり、稲飯を新羅王の祖とし、後裔として皇別新良貴をあてている。これも後世、神武紀を解釈してのことであろうが、帰化新羅人が、自分たちの祖を都合良く捏造したのである(太平洋戦争後、日本に不法侵入した不逞朝鮮人が行った「背乗り=日本人戸籍の乗っ取り」がこれにあたる)。つまり、稲飯が新羅に渡って王となり、従って新良貴は神武天皇の兄が祖であり、皇別になるとしたかったのであろう。「伊勢っ子正直」の二木島の民が、『紀』を真っ当に解釈して、稲氷の遺体を神社に祀ったとするのとは大きく異なる。

   ところで、『記紀』にでてくる「妣國」が現在とんでもないことに巻き込まれているのである。朝鮮人(後に韓国籍)の崔南善が1945年に著した『国民朝鮮歴史』(日本語訳『物語朝鮮の歴史』)の中で、「倭」について「倭の民は朝鮮から渡ってきたと考え、我々(朝鮮)を『妣国』とよぶことがあった。また太古から我が国の人が多く流入して住み、・・・・山陰地方には新羅の植民地が多く生まれ、その時の遺跡や古物をいたるところで探すことが出来る」と記述した(室谷克美『日韓がタブーにする半島の歴史』所収)。崔南善は自身の主張に都合良く「妣國」を剽窃したのである。日本の史実に基づけば唾棄すべき主張であり、歴史の捏造である。しかし、翻訳本が出版された時、この本が自虐史観を持つ日本人に歓迎されたようである。今も、妣國や常世を新羅と比定し、「素戔嗚、稲氷あるいは少毘古那彦は新羅に帰った」とか、「素戔嗚、多くの渡海の神、さらには神武天皇も朝鮮あるいは新羅からの渡来人」とする日本人の文章をみる事がある。公共の展示物にもある。いずれも大きな誤解である。また、以下の韓国ブログ(2014年09月22日 23:31)にも、如実に表れている「新羅と百済が倭国を建国してあげて、高句麗が未開なやつらに文字を教えてあげた。云々。 仰ぎ見ていた母であり師匠である我が国を裏切って、侵略しようとした。ふふふ」。日本を揶揄する書き込みである。崔南善の捏造「妣國」が、韓国人の間に根付いているのがみてとれる(図12)。

捏造甚だしい韓国の歴史教科書
図12. 捏造甚だしい韓国の歴史教科書

   しかしながら、古代の半島の実情は大いに異なる。『三国志魏書』馬韓伝は、古来半島は化外の地であったと記す「其北方近郡諸国差曉禮俗、其遠處直如囚徒奴婢相聚」(郡の近くの国々の民はわずかにでも礼をわきまえているが、遠方の處では囚徒や奴婢が相聚うが如くである)。三韓の中でも一番文化レベルの高い馬韓においてもこのあり様である。辰韓(新羅)もふくめ、とてもではないが、日本人の「妣國」となりえる国情ではなかったのだ。韓国人は漢字を放棄してしまった。漢字を放棄した韓国人には、古代文献にある屈辱的な記述を解読できないことは、かえって救いなのかも知れない。

   『紀』と『先代旧事本紀』は記す「(高天原を追放された)素戔嗚尊は、その子である五十猛神を率いて、新羅の曽尸茂梨 (そしもり) の所に天降られた。そこで不満の言葉をいわれた。
『この地には、私は居たくないのだ』と言って泥舟を造って東に渡り、出雲についた」。つまり、「この地には、私は居たくないのだ」とは新羅の地は神が住まうにふさわしい場所ではなかったのだ。また、同行した五十猛が多くの樹種を持って行くが朝鮮の地には植えずに、日本に持ち帰っている。素戔嗚も体毛から杉、檜、樟、槙を成している。しかし逆説的に、これらの植物を、素戔嗚や五十猛が朝鮮から日本に持ち込み、植林技術を日本にもたらしたとする説も見る。これらの植物は日本固有種か日本を含む南方の地にしか存在せず、朝鮮半島には無いにもかかわらず。

   では、仏教伝来前の日本人が大切にした「神」・「神社」が、『妣国』と標榜する朝鮮半島に存在したのであろうか? 私は在職中、韓国出身の大学院留学生を指導し、また、博士論文の研究をサポートした研究者もいた。その関係で学会やその他で、韓国を幾度となく訪れた。しかし、寺院は訪れたものの「神を祀る神社」を訪れた事は無く、その紹介もなかった。唯一、済州島の村の入り口にある鳥の飾りのついた木の枝飾りが、日本の神社の鳥居の原型との説があるが、あれは、朝鮮族の祖であるツングース族が用いたトーテムである。私は、朝鮮半島には神道に直接結びつくような信仰・習俗はみかけなかった。

   ここに帝京大学薬学部附属薬用植物園の木下武司氏の『神社・神社信仰の起源』(Web)を紹介しよう。氏は生薬の専門家であり世界の植物にも詳しい。いわゆる理系の研究者の立場から、氏は「神社信仰の起源は照葉樹林複合文化にある」との結論を述べている。その「照葉樹林複合文化」は古来、朝鮮半島にはない。そして「韓国人の間では神社の起源は朝鮮にある」とする説を詳しく論考し、「ウリナラ起源」=「ウリジナル」(ウリ+オリジナル=なんでも韓国起源を意味する造語、ちなみにウリは韓国語で我々を意味する)と論断している。

   日本の古代史を研究する人は、先学の書物や古文献を読むだけではなく、外に出かけ、外国に出かけ、そこから幾多を学び、そして日本の古代史を見るべきであると私は思う。日本人は、きちんと、正しい日本の歴史を認識してほしいものである。