絵画銅鐸を考える
─卑弥呼殺害の図

   銅鐸の中にはいわゆる絵画銅鐸と呼ばれる銅鐸群があり、鐸身に多種の線画が鋳出されている。その中で、一つ重要な絵を指摘しなければならない。それは、扁平鈕式銅鐸の兵庫県桜ヶ丘(旧神岡 かみか)銅鐸5号にある「三人の争い図」である(図4)。

鐸身に描かれた卑弥呼殺害の図
図4.  鐸身に描かれた卑弥呼殺害の図
その図では、「一人の小柄な人(おそらく女)の頭を中央の人(おそらく男)が左手で鷲づかみし、その男の剣をもつ右手にもう一人の人(おそらく女)がとりすがっている」。この絵の解釈には諸説あるようである。私なりに解釈すれば、「小柄の女を、男が剣で切り殺そうとするのを、もう一人の女が必死で制止しようとしている」ようにみえる。これは、何を意味するか? 銅鐸が「卑弥呼の銅鐸」であるとすれば、答えは一つである。それは、「卑弥呼殺害の図」といえる。つまり、小柄の女は卑弥呼で、あの日食の朝、邪馬台国の男に殺された。男の剣を持つ手に取りすがって制止する女は卑弥呼の官女であろう。兵庫県は銅鐸の出土が約40口とすこぶる多く、特に神戸市では絵画銅鐸が多い。姫路市では、銅鐸の鋳型も出土し、この辺りが銅鐸の生産地であったと判断される。東遷してきた邪馬台国後裔の中にいた天才的鋳造師が「卑弥呼の銅鐸」に「卑弥呼殺害の図」を描いたのだ。実際に、「卑弥呼殺害」を見たのか、古老から聞いたのかわからないが、「卑弥呼の死」の記憶を留めるため銅鐸に描いたのであろう。

   同様の男女の争いの図を、福井県井向1号銅鐸(外縁付鈕式銅鐸)と奈良県石上2号銅鐸(突線鈕式銅鐸)が持つ。これらも、「卑弥呼殺害」を描いたものと、私は思う。

   絵画銅鐸にはその他、脱穀(あるいは製粉、餅つき)、鹿狩り、猪狩り、魚釣り、水鳥(おそらくサギ)、魚、スッポン、イモリ、カエル、ヘビ、沢ガニ、蜘蛛、カマキリ、トンボなどが描かれており、それらが何を意味するかいろいろ論議がある。私は、全て食糧とみる。全てが、日照にはぐくまれた食糧、つまり「日のめぐみ」なのだ(図5)。

袈裟襷文銅鐸の鐸身を飾る絵画文様
図5.  袈裟襷文銅鐸の鐸身を飾る絵画文様
昆虫食は今も日本にあり、世界にもある。昆虫食は決して奇異ではない。鹿狩りが頻出するには訳がある。鹿肉はもちろん人々にとって貴重なタンパク源であたったことは論を必要としない。しかし、重要なことは、鹿肉は唯一「生食」ができるのである。なぜならば、鹿は草食故に「人畜共通の寄生虫」を持っていない。また、サギの肉も「人畜共通の寄生虫」を持っていない。この二つは良質の食糧であったと判断される。他方、猪しかり、淡水魚、スッポン、イモリ、沢ガニ、カエル、カマキリは、「人畜共通の寄生虫(吸虫や線虫など)」を持っており、「生食」をしたり、「生煮え」を食すると寄生虫に感染し、時には激しい肝炎、肺炎、脳炎を起こして死に至る。鐸身の区画にそれらの動物を区別して描いているようにみえる。それで、食糧として最も安全な鹿が特別扱いあるいは神聖視されたのであろう(角の生え替わりから、再生を象徴するという説もあるが、それならばなぜ射殺すのか?)。

   思い起こして欲しい。記紀神話に、天波士弓(あめのはしゆみ)=天麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天波波矢(あめのははや、天羽羽矢)=天加久矢(あめのかくや)が登場する。また、天麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天真鹿児矢(あめのまかこや)も登場する。この「加久」は「鹿児」のことであり、「麻迦古」は「真鹿児」のことである。したがって、天波士弓と天羽羽矢、天麻迦古弓と天真鹿児矢はともに「鹿を射るための弓と矢」である。絵画銅鐸に「弓で鹿を射る」モチーフが多くある。天照大神神話を伝承したのが、大和王権に仕えた邪馬台国の猿女君の後裔であると、私は考えている。であるならば、「卑弥呼の銅鐸」に「弓で鹿を射る」図が多く描かれていても、不思議ではない。つまり、銅鐸の「弓で鹿を射る」図には、天麻迦古弓や天真鹿児矢が描かれているとみることができ、「卑弥呼の銅鐸」に、記紀神話のモチーフがあると考えることは、合理的である。

*現在では、鹿肉はE型肝炎ウイルスを保菌する。生食は避ける方が望ましい。