二十一代雄略天皇
(4)一言主大神

   雄略天皇記(雄略四年)に一言主大神の説話がある。『記』から略記する。

   雄略天皇が葛城山へ狩に出た時に、
天皇は自分の衣服や行列の一行とまったく同じ相手にであう。不思議に思って「この大和の国には私以外大王はいないはずだ、いったいあなたは誰であるのか」と問うと相手も「この大和の国には私以外大王はいないはずだ、いったいあなたは誰であるのか」とまったく同じように問い返してきた。
天皇は大層怒り弓を取り出して身構えた。
すると相手も同じように弓矢を取り出し身構えて、しばらくの間にらみ合いが続いたが、天皇が再び「あなたは誰ですか」と問うと、その者は「私は凶事も一言、吉事も一言で言いはなつ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えた。
相手が一言主大神であることを知った天皇が「恐れ多いことです、私は大神様が、この世の人と同じようなお姿でご出現になられるとは存じませんでした」というと、お供の人々に与えた衣服を脱がせ、また自分から腰につけていた太刀と弓を取りはずした。
そしてそれらの品物を一言主大神に奉ると、大神はお礼の手を1回たたいて物を受け取った。
天皇が帰る時大神は山の入り口まで送った。

   この説話に出てくる一言主大神(図6)とは何か? それは鏡効果である。

葛城一言主神社
図6. 葛城一言主神社
雄略天皇とその兵は、鏡に映った自己の姿をみたのだ。おそらく大きな長方形青銅板が幾枚か山麓に並べてあり、それに映る自己の姿を見て驚いたのだ。声はもちろん木霊(やまびこ)である。それでは、そのような大きな青銅板が当時製造出来たであろうか? 出来たのだ。これよりずっと以前に、1メートルを優に越える銅鐸を作っていた。この技術をもってすれば1メートルを越える長方形青銅板の鋳造も可能であったはずである。では、作ったのは誰か? それは秦氏と邪馬台国末裔の技術者集団である。秦氏の一部である辛島氏は豊前の香春岳山麓で銅鉱山の開発をしていた。和銅は十分に供給可能であった。また近くの木浦鉱山からは錫を採掘できた。では、何故に秦氏がこのような事をしたのであろうか? それは一国分の人民の帰化を受け入れてくれた応神天皇に続く葛城系王朝への報恩であったと言える。遡れば、雄略天皇は即位前、葛城円宅で眉輪王と坂合黒彦皇子を葛城円共々焼き殺してしまう。この時、葛城氏は事実上滅亡してしまったのだ。三人の遺骨は区別が出来ず、一つの棺に入れられ、新漢 (いまきのあや) の擬本に葬られた。それを見て気の毒に思った新漢の人民が秦氏に伝え、秦氏は報恩のため葛城の人民に協力したのだ。武力では、雄略天皇には敵わないから、技術で挑んだのだ。鏡に映った自身の姿を一言主大神と思い込んだ雄略天皇は恐れ戦き、武器共々身ぐるみぬいで、一言主大神に奉ったのだ。それら戦利品を受け取った葛城の人民は、褌姿で逃げかえる天皇と兵を見て、大いに笑い、溜飲をさげたのだ。神武天皇記では、葛城の人民は土蜘蛛あるいは侏儒と言われている。一言主大神が異形と伝わるのはそのためであろうか。これが、一言主大神譚の次第である。